【書評】脱資本主義宣言 鶴見 済

紹介文

この本は現代の資本主義は行き過ぎてしまっていると考えた筆者がまとめた本です。構成は3つに分かれており、最初は今の資本主義の問題点を具体的な事例を紹介しながら指摘し、次に経済の仕組みを簡単に説明し、最後に今の行き過ぎた資本主義に抗っている人達はどのように生きているのかを紹介するという流れになっています。タイトルに資本主義と難しいタイトルがついていますが具体例が多いため、読みやすいです。

本書の面白いところは筆者が脱資本主義を掲げながらも、短絡的に社会主義を提唱するのではなく、新たな社会のあり方があるのではないかと模索しているところです。

今の資本主義のあり方に何となく疑問を持っている方や、お金に完全に頼らない生き方を模索している人には良い参考書になるかもしれない本となっています。

印象的な文章

こんなふうにものを買っては捨て、作っては壊し、右のカネを左に動かしながらカネを稼いで生きていくしかないのか? それどころか、これを続けるのはマズイのではないか? 誰だってそう思うはずだろう?

「経済のため」とは何だろうか? 考えてみるとよくわからないが、この資本主義と呼ばれる経済の仕組みのせいで世の中はおかしくなっているのではないか? 本書が提起しているのは、そういう疑問だ。

 こうしてヨーロッパには世界中から富が集中して、産業革命が起きた。そして工業製品を輸出する市場としても、植民地を利用するのだ。この構図はどこかで見覚えがないだろうか? そう、今行われているグローバル経済と基本的に何も変わっていないのだ【註3】。こうして今ある〝世界資本主義システム〟はできあがった。

ではなぜ西洋社会は、奴隷貿易などという非人道的な行いを長らく許してしまったのか? ひとつには、「奴隷貿易はアフリカ人を大変な窮地から救い出している」という言い分が、一般的に信じられてしまったからだ。今この言い分は、「グローバル経済が発展途上国を貧しさから救っている」と若干形を変えて、同じように信じられてしまっている(グローバル化以前の〝発展途上国〟の人々は何千年も貧困に苦しんでいたとでも言うのか!?)。

日本でも戦後、農作物や木材、魚介類の輸入を自由化したために、農業や林業、漁業では食べていけなくなった。こうして多くの人が地方での生活を諦め、農山漁村が崩壊したのだ。つまり、多くの人が高い家賃を払いながら大都市で暮らさざるを得ない日本の状況もまた、輸入自由化に関係している。

それでもなお「自動車を作る」という未来のない仕事が、我々のやるべきことなのか? 誰だって、もういらないとわかっているものを作って生きていくのは虚しい。そしてこれは自動車に限った話ではなく、この国の多くの製造業や土木建設業についても言えることだ。

これからは自動車を作る代わりに何をすればいいのかを考える時だ。それは地球環境や「南」の人々のためというよりも、自分たちの生きがいのために、だ。

そんな「今とは別の世界」を作ってしまおうとする試みは、世界中で行われている。

自治区を作って生きるメキシコのサパティスタ民族解放軍や、自分たちの経済圏を作り、貧しい層への富の再分配に努めるベネズエラなどラテンアメリカの国々はその顕著な例だ。

また「ソーシャル・センター」と呼ばれる、この経済の仕組みからある程度自律したスペースも、ヨーロッパからアメリカやアジアなど世界各地に広がっている。ソーシャル・センターとは、料理、食事、宿泊、音楽や映画などのイベント、情報収集、展示など、自分たちで生きるための設備を集めた巨大なスペースだ。七〇年代後半から八〇年代前半にかけてイタリアをはじめとするヨーロッパで起きたスク

「たいていのパパラギ※1が、その職業ですることのほかは、何もできない。頭は知恵にあふれ、腕は力に満ちている最高の酋長が、自分の寝むしろを横木にかけることもできなかったり、自分の食器が洗えなかったりする」   サモアの酋長・ツイアビ

※1 サモア語で白人の意味

すべての家事はカネに換算できないので、GDPには含まれないが、子どもを自分で育てずに、保育園に預ければ GDPは増える。皆が水道水を飲むのをやめてボトル入りの水を買うようにすれば、GDPは増える。公園で遊ぶのをやめて、遊園地に行けば GDPは増える。自分で服を繕わず、捨てて新しく買えば、友人とのCDの貸し借りをやめて、一人一人が買えば、自転車はやめてタクシーに乗れば……、いずれもGDPが増えるのだ。

我々がカネを使わずに、自分自身で、家庭のなかで、友人と、あるいは隣近所といった共同体でやっていたことを、カネを払って誰かにやってもらうほど、それもよりたくさんのカネを使うほど GDPは増える。

人と人とのつながりをカネを介したつながりに変えていった。こうして経済は成長してきたし、今でもそれは続いている。ヒトをどんどんカネに依存させている。こういうものが経済成長なのだから、経済が成長するほど、我々は貧しくなっていると言うこともできるのだ。

今強調すべきなのは分業のメリットではなく、行き過ぎた分業を見直して、より多様で自給自足的な方向に戻すことだ。我々は社会の生産性を上げるために生きているわけではない。

自分が常々こんなことを思い巡らしているのは、実は地球のためではなく、自分が楽になるからだ。我々はヒトだけの世界から離れて自然物に囲まれていると、気分が楽になる。憩いの場所には、なぜか植物が植えられている。人間界の仕組みは、不自然で息苦しいのだ。そんな時に自然界に触れると、ヒトは本来の仕組みを思い出して落ち着くのかもしれない。

農業をやることは、この経済の仕組みに対する反抗だ。この経済の仕組みに与えられる餌ではなく、自分たちの手で作った食べ物を食べようということだ。

感想

筆者の鶴見さんは最後にこの様な事を述べています。

どうすれば楽に生きられるのか。そんなことばかり考え、書いてきた。(中略)カネを使わないほうが楽に生きられる、とは言えない。むしろ一般的には、何でも買って済ませたほうが楽だとされている。(中略)けれどもこうしたほうが、何と言うか、生きることに興味が湧いてくる。

鶴見さんは楽に生きるという表現をしていますが、私は鶴見さんは豊かに生きる方法を模索しているとも言う事ができるのではないかと思います。農業であったり、公共性や人と人の繋がりに重きを置く行動は確かに面倒臭い事かもしれませんが、そのような面倒くさい行為にこそ豊かに生きる秘訣が隠されているのではないか。そう思わせてくれる本でした。

当たり前のことかもしれませんが、お金が全てではないという事を再確認する事ができます。そして、同時に鶴見さんが実践しているようにどのように完全に依存しない生活を作り出す事ができるのか自分も模索したいと思える本でした。

About the author

衣食住、旅人本に興味がある。アウトプットメインですが読んでいただければありがたいです。

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