エレファントム_書評

【書評】エレファントム 象はなぜ遠い記憶を語るのか  ライアル・ワトソン著 福岡伸一/高橋紀子訳

はじめに

この記事ではエレファントム 象はなぜ遠い記憶を語るのかという本の書評や感想を述べています。この本がどのような本なのか、どんな人におすすめなのか、印象的な文章の抽出からどんなことが書いてあるのかが書いてあるのかが分かるかと思います。

紹介文

この本は南アフリカ生まれのイギリスの植物学者・動物学者・生物学者・人類学者・動物行動学者であるライアル・ワトソンの半自叙伝です。なぜ、半自叙伝と言われているかというとメインは象たちの神秘なる能力にもフォーカスした本でもあるからです。

物語はライアル・ワトソンが10歳前後のときから始まります。彼は毎年1ヶ月だけ夏の間、他の子供達と共に子供達だけで自給自足生活をするという経験をします。そこでの不思議で神秘的な体験をきっかけが彼を生物学者、象の研究者として道へと駆り立てます。そして、その神秘的な体験が現代の科学では解明できない故に、それは神秘的だが、いつか科学の力で解明できるのではないかと探求していく物語です。

アフリカの美しい自然や動物たちの描写は美しく、またアフリカの社会問題にも触れながら、その葛藤の中で生きる自分自身をとても上手に表した素晴らしい作品になっています。特に象の描写はとても美しく、文字だけでここまでイメージされるのかと思うほど、詳細でありながら冗長ではない美しい書き方がとても魅力的な物語です。

印象的な文

アフリカ人が無関心なのは、象が嫌いだからというわけでもない。アフリカの神話や宗教は自然界と深く結びついており、ライオンやジャッカル、ヒヒ、ミーアキャットといった動物がよく登場する。どれも普通は食べられない動物だ。たしかに部族民話や俗信のなかで象はあまり大きな役割を果たしていないが、その主な理由は象が人とのあいだに距離を置くことができるからだ。実際、象は競争するよりも身を引くことを好み、できるだけ巻き込まれないようにしている。人々もそうした態度を受け入れ、象との結びつきを強めようなどとは考えずに、遠くから彼らの力と存在を見守っているアフリカでは、象が家畜にされたり戦争に使われたりしたことはない。それに牧畜や農業を邪魔しないかぎり、狩りの対象にもならない。お互い干渉しないで生きていこうというわけだ。p 95

私たちは結局のところ、若い少年の寄せ集めにすぎなかった。みんな白人で、目隠しをつけた長で育ってきた。南アフリカを自分たちの帝国だと思い込み、白人優位の考えを意地でも手離しうとしない社会だ。アフリカのことは好きだけれど、つねに一定の距離を置いて、それ以上近くには寄せつけないようにしていた。警戒を解いたときに何が起こるのか、それを恐れていた。私たちが他の人と異なっていた点は、ストランドローパー※1として小屋に滞在していたことくらいだった。でもそれは大きな一歩で、世間から切り離され、否応なく自分たちや周囲のものごとを今までとは違う目で見るようになった。一年のうちのたった一ヵ月ではあるけれど、親による制約や彼らの持つ偏見から自由になることができた。そのおかげで、普段なら許してもらえないほど、アフリカに近づくことができた。p102-103

※1ストランドローパー…1652年最初にアフリカに入植し、探検したモノたち

カンマ※2以前の時代には、私たちはここを通り過ぎるだけだった。夏の間のイベントとして、石器時代のスタイルを楽しんでいた。でもカンマ後の時代になると、私たちにもわかってきた。これはただのゲームではない。私たちが年に一ヵ月だけやっていることは、カンマのような人にとっては、何千年も続けてきた生き方なのだ私たちだってそのことは知っていた。でも、しっかりと受けとめていなかった。一つの文化としての十分な敬意を払っていなかった。彼らの生き方は、私たちの歴史の源とも言える大きな役割を果たしてきた文化だ。それをしっかりと認識しなくてはならない。ケープに限った話ではない。地球上のさまざまな場所で、私たちの祖先は豊かな生活を送り、適切なものを食べ、新鮮な水を飲み、穏やかな気候のなかで大洋に面した浜辺に座って過ごしていた。激しい生存競争の場から距離を置き、大きな脳と人間的な要素を発達させた。そのおかげで、私たちはこのような意識ある存在になることができたのだ。p119

※2カンマ…現地で出会った絶滅したと言われていた本物の原住民

象の鼻には、人間の手よりも便利な点がたくさんある。まず力が強く、1000ポンド以上の物でも持ち上げられる。それに細やかでもあり、直径が10分の1インチしかない物を拾い上げて識別することができる。鼻は実にさまざまな用途に使われる。食べる、飲む、ほこりを払う、喧嘩をする、戦う、物を投げる、遊ぶ、水を吹きかける、引っかく、匂いをかぐ、鳴く、撫でる、他の象とふれあう、子象をあやす。これほど多くの表情をもつ器官は、世界中を探しても象の鼻しかない。p130

アフリカの地で、象はつねに大きな位置を占めてきた。その長い歴史のなかで、人間は象と運命をともにしているという意識をもち、敬意すら抱いていた。昔のアフリカの部族は、一頭の象のなかに魂を見てとることができた。また西アフリカの各地に伝わる民話によると、象の糞に大切に包まれた特別な種のおかげで穀物の栽培が始まったとも言われている。農業以前の時代、遊牧民と象は一種の協力関係を築いていた。象が森林を草原に変え、家畜の牛がその草を食べつつ、再び象の好きな木が生えるのを促した。しかし、農耕が始まると、そのような共存関係は崩れてしまった。p137

南アフリカに入植してきた人々は、ヨーロッパ製のすぐれた銃を持っていた。彼らはそもそも十六世紀の頃から、銃を使うことをまったくためらわなかった。ケープタウンに住んでいた最後の象は一六五二1年に射殺され、一七六一年にはオリファント川より近くには一頭もいなくなってしまった。オリファント川はケープ植物圏の中で象が住む地域と住まない地域を分ける境界線となっている。p140-141

数十万頭の象が理由もなく死んでいった。さらに五〇年間で、コンゴに住んでいた五八万五〇〇〇頭の象が消された。大虐殺はとどまるところを知らなかった。一八六〇年から一九一〇年にかけて、入植者や農民たちが西アフリカや東アフリカに住むようになると、そこでも一〇〇万頭以上の象が撃ち殺された。こうした野放図な虐殺の多くは、冒険家や財産目当てのハンターの仕業だった。だが、一部には自然を研究する博物学者までもが加わっていた。たとえばフレデリック·コートニー.セルースは、ローデシアや東アフリカに関する知識に大きく貢献し、博物標本や民俗学的資料を集めて何冊かの本を書いた。しかし一方では動物を好きなだけ撃っていた。利益と楽しみのために、数えきれないほどの象を殺した。p148

私たちは擬人化を恐れすぎているように思う。もちろん客観視することは大切だし、科学的だ。でも象などの動物に意識があるかもしれないと考えてみることは、それほど悪いことだろうか。私たちは自分の赤ん坊に対して、意識があることを想定する。そうしなければ、理解を深めるチャンスを逃がしてしまう危険があるからだ。それは動物についても同じではないだろうか。p156

1930年に東アフリカでおこなわれた調査によると、大人の象で牙がないものは全体のわずか1パーセントだった。珍しい変異と考えていい数字だ。ところが、10年後に同様の調査をおこなった結果、その数字は30パーセント近くにまで増えていた。アフリカ全域で、象たちの牙が一斉に小さくなっていった。とくに何世紀も狩りが続けられてきた地域でその傾向は顕著だった。東アフリカで大牙を見つけるのはとても難しくなった。その理由の一つは遺伝子の減少だと考えられる。ハンターや密猟者が大きな牙のものを好んで殺してきたために、大きな牙をつくる遺伝子を持った象が著しく減ったのだろう。十分に保護してやれば、やがてまた大きな牙のものが増えるかもしれない。地域によっては、大きな牙は今でも生存のために有利な特徴として残っている。そもそも大きな牙の雄象が現れてきたのはそのためだった。p160

南アフリカ出身の生物学者·考古学者であるルイス・リーベンベルクは、動物の跡を追う技術を最古の科学と位置づけている。その知的過程には、現代の科学に通じるものがあると言う。彼によれば、科学は今でも獲物の追跡と同じように、目に見えないモデルを用いて目に見える世界を説明しようとしている。あらゆる問題における観察可能な性質というのは、足跡と同じく目に見えない過程を表す印のようなものだ。それを理解するためには、入念な観察だけでは足りない。そこには純粋な想像力が必要とされる。原子より小さな構造を扱う素粒子物理学者でさえも、泡箱に表れる。通り道。を調べて粒子を“追跡し、獲物に迫っていくのだ。優れた追跡者と同じように、優れた科学者にも直感が不可欠だ。リーベンベルクはそれを「必要とされるはずの情報よりも少ない情報に基づいて、結論に到達する」と言い表している。そうした想像力による飛躍は科学というよりも呪 術的に思えるが、実際に新事実を発見する過程ではこれがよく用いられている。本当に新しいものは、既成の知識だけでは見えてこないからだ。p187-188

私の経験したことは、とても現実味を持っていた。でもそれは新奇で、科学的な理論にはうまく当てはまらないものだった。これについて弁解する気はない。信じることによって経験が作りだされることもある。それに私は、真実だと証明できないような超自然的体験であっても、嘘だと決めつけることはできないと考えている。そこには固有の論理が働いているし、ときにはその編理のためだけにでも、追跡してみる価値はある。p347

私の感傷的な気分によく合っていた。一頭だけの群れのことを考えると胸が痛んだ。私自身、五〇年間もクニスナの森と関わっていながら、状況を変えるための努力を怠っていたのではないか。そう考えると罪の意識を感じた。しかし、今でも南アフリカの政治に働きかけるのは難しい。長年続けてきた高圧的な支配は、彼らの中に根深く染みついている。私の心の半分はそうした悲しい考えに沈み、半分は夜明けの森にいるという純粋な喜びにひたっていた。朝の最初の光が、頭上を覆う樹木の葉から漏れてきた。枝には「「老人の髭」と呼ばれる苔がふわりと垂れ下がっている。周囲を取りまく音は、夜の蛙から朝のコオロギへと変わって私の精神も、太陽とともに上昇してきた。私は空気の震えを感じとろうとした。でも震えはなかった。p349

感想

科学的調査と現代の科学では神秘的な体験の両方を経験したライアル・ワトソンであるからこそかける文章であると感じました。私たちは神秘的なもの、霊的なものを考えるとき、信じないか信じるかという2つの判断でしかものを見ません。しかし、そこに神秘的なもの’調べる’という選択肢があるのだと気付かされる本でした。今回はその実際、ワトソンが経験した内容については引用をしていませんが、そこが文章の果実となるところなので、是非読んでみてその世界観を味わってみてはいかがでしょうか?本当にそんな体験したの?と驚くような体験ばかりです。

また、昔の人類の生活や動物にとても敬意を払った文章だなという印象を受けました。現代人ととかくAIやITなどと言った最新技術と言われるものに目がむきがちです。しかし、人類が長年培ってきた経験や動物たちの世代淘汰の過程で生み出された能力や知恵にも最新技術に負けないほど大きな魅力が詰まっている。そんなことを感じさせてくれた本でした。

因みにこの本は福岡伸一さんという最近、『動的平衡』という本を出版した生物学者も翻訳者として関わっています。私はこの『動的平衡』でこの本が紹介されていたことをきっかけにこの本を知りました。この本もおすすめなので是非チェックしてみてください。

『動的平衡』の書評/要約はこちらの記事に書いていますので、そちらもチェックしてみてください。

アフリカに関する本の書評は「本当の豊かさはブッシュマンが知っている」という本の紹介もしています。よかったらこちらをご覧ください

ではでは。

About the author

衣食住、旅人本に興味がある。アウトプットメインですが読んでいただければありがたいです。

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