【要約】はじめての経済思想史 アダム・スミスから現代まで (1章)

はじめに

この記事でははじめての経済思想史 アダム・スミスから現代までという本の第1章アダム・スミス についての章を要約しています。

アダム・スミスがどのような人物でどのような経済考え方、思想のもと、どのような理論を打ち出して言ったのかがわかるかと思います。

また、この本の筆者である中村隆之さんがどのようにアダム・スミスを捕らえているかがわかるかと思います。

第1章 アダム・スミスー資本主義の道徳的条件

超高速まとめ

まず、筆者はアダム・スミスの経済理論から本をはじめます。

筆者が端的に述べたダム・スミスの経済理論は以下の通りです。

“スミスは、お金儲けをしたい、よい生活をしたいという基本的な人間の欲求を肯定した。
自らの働きによって稼ぐ大部分の人びとにとって、それはお客さんの喜びを探し、喜びを提供できる能力を磨くことによって達成されるものなので、お金儲けの道と徳のある生き方は両立する。
こうして、各人が異なった能力を伸ばしていくことが分業を促進し、生産性を向上させ、富める国を作り出す。これを実現する舞台が、努力にフェアな報酬を与える「自由競争市場」である”

— はじめての経済思想史 アダム・スミスから現代まで (講談社現代新書) by 中村隆之

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これをもとに1つづつ説明していきます。

時代背景

まず、大前提として留意しておきたいのは、アダム・スミスは各々が利益を追求する自由競争市場を肯定した経済学者であるということです。

このような考えを持つきっかけとなったのには、時代背景が関係しています。

1700年代はイングランド、フランス、アメリカなど多くの国々は戦争を行なっていました。

なぜ、多くの戦争が行われていたかを筆者はこのように説明しています。

“なぜそれほどに戦争をしたかというと、それが国を富ませる道であると考えられていたからである。軍事力を強化して植民地争奪戦に勝ち、独占事業を中心とした植民地経営から大きな利益を上げるのはよいことだ。また、海外事業からの稼ぎによって国内に金銀を流入することで貨幣の循環が促進されて経済が活性化する、という理屈である。後に「重商主義」と称されるその政策は、スペインとポルトガルが覇権を争っていた大航海時代から、形は変えつつもヨーロッパの国々の経済政策の基本であった。強者であること、支配者であること、そしてそれによって金銀を稼ぐことで国を富ませるという発想は、ある意味で常識的でもあった。”

— はじめての経済思想史 アダム・スミスから現代まで (講談社現代新書) by 中村隆之

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そして、この時代の中でスミスは以下のような考えになったであろうと言っています。

“重商主義政策によって国を富ますという大方針、つまり「強者 =支配者」になることで国は富むという考えは、まちがっているのではないか?  それがスミスの経済学のテーマである。”

— はじめての経済思想史 アダム・スミスから現代まで (講談社現代新書) by 中村隆之

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この疑問の答えを得るため、スミスは「そもそも国の富とは何なのか」という根本から考えていこうとしましたと筆者は言っています。

富める国の定義

スミスは富める国の定義として、

“富める国とは、豊かな生産力を持ち、それを消費することで、人びとがよい暮らしができる国である。だから、その源泉はその国の内側、つまりその国の人びとの勤勉な労働にある。庶民が一生懸命に働き、人びとの暮らしを豊かにする財・サービスを生み出せている国が、富んだ国、豊かな国なのである、”

— はじめての経済思想史 アダム・スミスから現代まで (講談社現代新書) by 中村隆之

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と主張していたそうです。

このように考えたとき、より沢山の財・サービスを生み出す「分業」が鍵であるとスミスは考えます。

貨幣を媒介とする交換を通じて、人それぞれが別々の才能を伸ばしていくことで、全体として豊かになる。
これがスミスの豊かな国のイメージであると筆者は言います。

そして、この時に大事になるのが、それぞれの努力が公正に報われることです。努力が報われず、奴隷のようにこき使われるだけであったのなら、人それぞれが別々の才能を伸ばしていくことは困難であるからです。

この「それぞれの努力が公正に報われること」という考えが本という形になって現れたのが、『道徳感情論』という本だと私はこの本を読み感じました。

『道徳感情論』を非常に簡潔にまとめると、自由競争市場の中で評価されるように行動する人は、自身のお金儲けを追求しているが、同時に努力し、誠実に生きるように促されている。ということです。

筆者の言い回しで言うとこのようになります。

“経済の世界でお金儲けをするためには、お客さんが喜んで買うものが何かをつねに探し、それを提供できるように自らの能力を磨かなければならない。また、喜んで買ってくれるように、普段から人びとに愛想よく接し、誠実な人柄であると信頼されなければならない。”

— はじめての経済思想史 アダム・スミスから現代まで (講談社現代新書) by 中村隆之

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しかし、理想と現実は離れている気がします。その理由を筆者はこのように述べています。

“ここまでのスミスが考える市場は、皆が働き、その努力がフェアな競争のなかで評価され、庶民の力が引き出される場である。だが、この市場のイメージは重要な点で現実離れしている。というのは、この経済は、投入要素として労働しか考慮していないからである。現実の経済における生産は、「資本」「土地」を投入する必要があろうし、当然それらの投入に対しては「利潤」「地代」という報酬がある。つまり、現実は(スミスの言葉ではないが)「資本主義」なのである。”

— はじめての経済思想史 アダム・スミスから現代まで (講談社現代新書) by 中村隆之

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ここで重要になるスミスの考えの『見えざる手』です。この『見えざる手』と言う考えは高校生や中学生でも習うほど有名な言葉ですが、実際、国府論では一箇所しか使われていません。

その箇所がここです。

経済活動をおこなうそれぞれの者は、一般に公共の利益を増進しようと意図していない。また、自分の活動が、どれほど公共の利益を推進しているかを知っているわけではない。……彼は自分の資金や努力を、その生産物が最大の価値を持つような方向に使おうとするが、そのとき、彼は、自分自身の儲けだけを意図しているのである。にもかかわらず、彼は……見えざる手( invisible hand)に導かれて、彼の意図のなかにまったくなかった目的[ =社会全体の利益]を推進するようになる。([  ]内は、訳者の補足。以下同) ……自分自身の利益を追求することによって、彼はしばしば、誰かが社会の利益を推進しようと努力する場合よりも効果的に、社会の利益を推進する。公共の利益のために仕事をするなどと気取っている人びとによって、大きな利益が実現された例を、私はまったく知らない。

(スミス『国富論』第四編第二章、訳 ②三〇三 ~三〇四ページ*)

つまり、自由競争の中で各資源の所有者が利益を追求することで、資源を効率的な用途に向けていこうとする原理が国を富ます原理であると言うことです。この各資源の所有者が利益を追求することはお金持ちも庶民も一緒です。

もっと大胆に言えば、スミスは格差をある程度は認めていたと言っていいでしょう。ただ、この格差、不公平をどこまで認めるかがスミスの考えたところでした。

スミスはこの範囲を設定するため、格差が非常に大きくならないようにするため、競争を公平に行うための規制やヤクザのような高利禁止制度の必要性を訴えたそうです。つまり、お金持ちや地主が資産を貸し出して利益を得ようとする際には、良い用途に向けていくことになれば問題ない。と言うことです。

章の最後に、筆者はスミスが考えた資本主義経済の条件を筆者なりにまとめいます。

“①自由競争市場がフェア・プレイに則った競争の場であること、特に資本を動かす人間がフェア・プレイを意識する人間であること ②資産を事業に活用するのではなく、貸し出して利益(利子・地代)を得ようとする場合、その行動が資産をよい用途に向けていく助けになり、全体の富裕化を促進すること ③強者が弱者を支配せず、相互利益の関係を結び、弱者の側の能力も活かされること”

— はじめての経済思想史 アダム・スミスから現代まで (講談社現代新書) by 中村隆之

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この3つが筆者の視点からみたアダム・スミスの経済思想、資本主義の条件だと言えそうです。

感想

しかし、このアダム・スミスの論はとても理想論のように感じます。現実世界でも、この条件は崩れています。
それが崩れるたびに新たなことが試される。それが経済の歴史と言えるのではないかと思います。

次章はその最初の問題に打ち当たり、解決しようしたJ ・S・ミルとマーシャルを中心に見ていっています。

また、まとめたらアップしますので、見ていただけたら嬉しいです。

ではでは。

最近話題の人新世の「資本論」の要約もしているので、よければご覧ください!

About the author

衣食住、旅人本に興味がある。アウトプットメインですが読んでいただければありがたいです。

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