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【感想/書評】友人の社会史

0、はじめに

この記事は「友人の社会史」という本の紹介や感想、書評などを書いた記事になっています。

購入を検討している方にとっては本の概要がどんなものなのかがわかるようになっていますので、よければご覧ください。

内容は以下のようになっています。

0、はじめに

1、紹介文

2、気になった文章

3、感想、書評

1、紹介文

あなたにとって、親友とはどんな存在でしょうか?この問いに対する答えは人によってそれぞれだと思います。しかし、そこ答えには時代性を帯びて現れることがあります。地域や家族などの中間集団の衰退による個人化、いつでも連絡を取れる携帯端末の普及、SNSという新たなコミュニケーションツールの発展などなど、時代によって友人との関係性を規程する外的要因は変化してきたからです。本書は私たちにとって「親友」とはどのような存在だったのか?という疑問に対して、1980年代から2010年代までに集められたの膨大なインタビューのデータと新聞記事に使われる「親友」という言葉を分析しながら、そこに現れる「親友」という言葉の待つ意味の時代性を考察している本です。

マクロな時代性の分析をメインとしたである本書ですが、その分析方法は新聞記事に投稿された一般市民の文章を分類するという方法をとるなどミクロな視点からの考察も多いのがこの本の面白さの1つではないかと思います。時代、時代によって異なる友人関係の悩みに関する投稿、高校野球記事からの「親友」分析など、その紹介される事例の1つ1つが非常に興味深いものになっています。そして、現代の我々の持つ「親友」のイメージにとある矛盾や複雑性が生じているという考察はその通りだと本を読みながら頷いてしまうほどです。親友とはどのようなものであるか、その歴史から読み取り、客観的に考える契機にこの本はなるのではないかなと思っています。

友人関係に悩んでいる人や日本における友人、親友の定義とはないかを考えたいという人にとってはこの本はおすすめかなと思います。

2、気になった文章

どちらの調査でも友だちに相談する人が減り、母親に相談する人が増えている。『世界青年一縫調査』 では、二00三年をピークに友だちに相談する人が減り、母親に相談する人は、一九七八年から八二年 にかけては落ち込むものの、ぞの後、増加傾向にある。最新の調査では、ついに、母親に相談する人が 友だちに相談する人を超えた。 P30

むしろ、友人関係が前景化し、複雑性が増したからこそ、温かさの幻想の残る家族(母親)に頼る人が増えているのかもしれない。p30

まとめると、友人の人数につぃては、親友と呼べる濃密な関系は3、4人ていどであり、著しい縮小傾向も拡大傾向も見られない。仲のよい友人は、それよりさらに増え、10人から20人ていどいる。拡大・縮小傾向については、情報通信端末を介した友人も含めるとやや増えているようだ。p32

つまり、自らを相手に合わせる一方で、自らの状態に応じて相手を使い分けているのである。そこには、内面を開示し、共感し合う「従来の」友人像とは異なった姿がある。p34

個人化が進み、関係性の自足を求められるなか、私たちは情報通信端末を駆使して、”見た目”の友人関係を充実させてきた。しかし、”見た目”の友人関係の充実は、暖眛な関係性の拡大という不確実性にまつわるストレスも引き連れてくる。かくして、私たちは友人に対して接触と撤退という相反する欲求を抱えるようになった。p49

ここから、1980年代後半は、「親友」という言葉が、私たちにとって縁遠い場で発せられる、象徴的・儀礼的な言葉ではなくなってきた時代だと一言えよう。前節でも検討したように、政治・経済報道において、親友は、政治家同士の結び付きを象徴する言葉としてたびたび使われていた。しかし、そのような用例は80年代後半に急速に減少する。p87

前の章で示したように、新聞紙上で「友人」「親友」という言葉を目にする機会じたいは着実に減りつつあった。しかし、それを補うかのように、紙面では、親友の紡ぐ物語を目にするようになったのである。2000年以降の私たちは、幻想としての親友と現実の複雑な友人関係の狭間で生きているのである。p92-93

第2章では、2000年代以降、テレビ、小説、映画などの内容を紹介した親友記事スポーツ、なかでもおもに、高校野球、オリンピック、ワールドカップにまつわる親友記事が増えていることから、親友記事が、固有のイメージを付与された親友の物語を前面に打ち出してきたことを明らかにした。p121

高校野球における友情の物語は、1980年代、90年代にも、もう少し見られてもよいように思われる。しかしながら、高校野球を扱った親友記事で、実際に友情の物語を見かける機会は、2000年以降のほうが圧倒的に多い。p126

第3章で取り上げた事例に限らず、親友同士の球児が展開する友情の物語は、ほぼ同じフォーマットを用いて描かれる。p145

球児・親友たちの友情の物語は、ぞの画一性の高さだけでなく、もう一つ重要な特徴をもつ。それは、愚痴、ねたみ、利己性、あきらめ、放棄など人問の悪しき部分が徹底的に捨象されていることである。p146

3、感想、書評

2000年代以前と2000年以後では友人観念が変化しているという考察は非常に興味深かったです。私は2000年代以前をよく知らない世代ですので、2000年代以前の友人観念を理解できたのは良かったことかなと思います。今の私にも、親友と聞くとそれはとても綺麗で美しい言葉のように感じます。それは私の同世代、あるいはそれ以下の世代にはそうなのかもしれません。それはメディアの影響を受けて作り上げられてきた価値観なのだということも理解できたことで友人や親友というものをもう少し冷静に見られるようになった気がします。

この本では高校野球の報道を通じて、「親友」とは何かを分析しています。私は高校まで野球をしていた高校球児でした。だからこそ、この筆者の言いたいことの1つはとても理解できました。今の高校野球報道には友人の負の側面が報道されない。報道しない方が良く見られるからです。私はこの報道のあり方に、肌感覚ながら疑問を持っていました。確かに彼らが持つ友情は強いものがあると思います。しかし、それは様々な葛藤や対立などの負の側面も経験しながら育まれるものです。綺麗なところばかりを見ていては本質は見えてこないのだと思います。だからこそ、私たちの世代はそれを理解し、友人と対立したり負の側面を持つことを恐れてはいけないのではないかと思います。特に学生のうちはその恐れが経験的にあまりないからそこ、積極的に対立する。それを乗り越え、更に仲良くなる場合もあれば、疎遠になる場合もある。その経験を踏まえるからこそ、大人になればなるほど、中々そこに食い込めない。だからこそ、大人になるにつれ、親友、友人をもつ機会は減るのかなと思いました。逆にそこを互いに理解し合えば、いつからで友情を育むことができるのではないだろうかと思えてくる一冊でした。是非、読んでみてください。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

友人の社会史 1980-2010年代 私たちにとって「親友」とはどのような存在だったのか [ 石田 光規 ]

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本ブログでは狩猟社会の世界、人間関係とはどのようなものだったのかを書いた本「本当の豊かさはブッシュマンが知っている」という本も書評や気になったところを抜粋しています。よければ、こちらに載せていますので、気になった方はこちらをクリックしてください

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衣食住、旅人本に興味がある。アウトプットメインですが読んでいただければありがたいです。

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