はじめに
この記事でははじめての経済思想史 アダム・スミスから現代までという本の第3章ケインズについての章を要約しています。
ケインズがどのような人物でどのような経済の思想、考え方のもとにどのような理論を打ち出して言ったのかがわかるかと思います。
また、この本の筆者である中村隆之さんがどのようにケインズを捕らえているかがわかるかと思います。
復習
彼らの考え方を見る前にここまでの復習を軽くします。ガッツリ復習したい人は以下を参照ください。
最初はスミスからでした。彼は2つの経済思想を持っていました。
1、自由競争市場導入で、道徳観によって公正に評価され、人々はそれぞれの専門に磨きをかけ、分業が発展し、豊かな社会が得られる。
2、資本がフェアに扱われる限り、多少の所得格差、所有している土地面積の差などがあろうとも、全体の富は「見えざる手」によって増やされる。
この2つの思想のうち2番目、「資本がフェアに扱われる限り、多少の所得格差、所有している土地面積の差などがあろうとも、全体の富は「見えざる手」によって増やされる。」の資本がフェアに扱われる限りという前提条件が19世紀には満たされなくなっていきます。
これに立ち向かったのが、J・S・ミルとマーシャルの2人の人物でした。
そして、この2人は解決方法を生み出しますが、その生み出した解決方法は資本が事業経営者によって使われていることが前提でした。資本家や投資家という概念がない世界観だということです。しかし、歴史として資本家や投資家と呼ばれる人たちが台頭してきます。そのような世界で新たにスミスの条件について考えたのが次の時代のケインズであると筆者はまとめています。
では、その理論とはどのようなものなのでしょうか?まず、その前にケインズがどのような問題意識を持っていたかを見てみましょう
ケインズの問題意識
ケインズの問題意識は端的に言えば、1920年代のイギリスを不況か来ていました。当時、失業率10%の慢性的な不況状態であったイギリスの現実をどのように説明するべきかを考えたのが、ケインズの経済学の始まりです。そして、その探究の中で「金本位制」への批判と「投資家」と「企業家」の区別を明確にしていきます。
ケインズの方法論1ー「金本位制」への批判ー
まず、ケインズは、第一次世界大戦後には、戦前のように金本位制が安定して機能する前提が崩れていると考えたと筆者は言っています。戦前、金本位制が安定して機能したのは、中心国であるイギリスが経常収支黒字分を対外投資に回し、金をため込まなかったからであると。通常、金本位制をとる国は、自国の通貨発行量に見合った金準備(通貨を金に交換してほしいと申し出てきたときのための金)を大量に保有しておかなければならない。だが、イギリスは例外であった。国際的な取引に必要な短期のポンドを国外者に貸していたので、少しだけ金融引き締め(公定歩合の引き上げ)をおこなえば、その資金の返済を促すことができ、それで金の量を増やせたからである。いつでも金を増やすことができるので、イギリスは金準備を多く保有する必要がなかった。
しかし、第一次世界大戦後は、それらの前提が崩れていきます。
第一に、第一次世界大戦をアメリカからの大借金で乗りきったことにより、イギリスは対アメリカの債権国から債務国になった。保有す
る対外債権は減り、経常収支黒字を支える利子収入も減少したことが挙げられます。
第二に、経常収支黒字国となったアメリカは、流入する金をため込んでいた事が挙げれらています。
このようにな条件下は、戦前に金本位制を円滑に機能させていたそれとは異なり、戦後にはもう崩れています。だから、ケインズは金本位制を辛辣なまでに批判したのです。
それを筆者はこのように言っています。
「ケインズは金本位制を辛辣なまでに批判する。なぜ地中から掘り出したきらきら光る金属ごときを崇拝しなければならないのか、と。 金の不足に悩まされるぐらいなら、金を通貨の基礎におく制度(金本位制)そのものを見直せばよいではないか。貨幣を自らの手で管理し、産業の発展に資するような低金利を作り出せばよいではないか、とケインズは主張するのである。」
—『はじめての経済思想史 アダム・スミスから現代まで (講談社現代新書)』中村隆之著
ケインズの方法論2ー「投資家」と「企業家」の区別ー
次にケインズは「投資家」と「企業家」の区別を明確にしていきます。
彼は、資本の利回りを追求する「投資家」と、実物資本を動かす「企業家」を明確に分け、両者の利害を対立的にとらえたと筆者は言っています。ます、「投資家」からみています。「投資家」の行動規準は、ただ純粋に自らの金銭的利益だけを追求するものです。なので、直接的に他者に害悪を与えているわけではないが、全体の富裕化には繋がりません。
一方、「企業家」の行動規準は、顧客に喜ばれなければならないし、労働者の能力を活かさなければならないという倫理的制約を受けた利
益追求です。適切な競争・労働環境の下で企業が利益を上げることは、意味のある価値の創造であり、全体の富裕化に寄与しているとケインズの経済観では考えます。
ケインズ以前は「投資家」と「企業家」の区別が明確ではありませんでした。そこにケインズは、「投資家」と「企業家」が明確に分かれる二〇世紀的な特徴を、経済学に取り入れたのです。
まとめて、筆者はケインズの経済観をこのように表現しています。
「金融(悪いお金儲け)が産業(よいお金儲け)の邪魔をしている。だから、悪いお金儲けを取り除くための政府の取り組みが必要になる。邪魔しているものが金本位制とか、金融立国の構造とか、とても動かしがたいものに見えても、果敢にそれを変えるための挑戦をする。これがケインズの基本姿勢である。」
—『はじめての経済思想史 アダム・スミスから現代まで (講談社現代新書)』中村隆之著
ケインズの経済観と業績ー「流動性選好理論」ー
このケインズの経済観がまとめられているのが、ケインズの『一般理論』です。この著作は非自発的失業が継続的かつ大規模に発生する可能性を理論的に説明したのもので、市場の調整に任せるのではなく、適切な制度、政策が必要であると訴えます。一般的な大きな政府を提言するケインズのイメージはここから来ているのだと思います。上記に述べたように、ケインズは市場の調整に対して否定的な考えを持っていました。市場の調整とは下図に示すような資本市場の機能が大きな役割を担うとされています。
この機能を否定し、ケインズは「流動性選好理論」というものを発表します。
流動性とは、「換金しやすさ」のことを指します。
例えば、現金は一番流動性が高いものです。即時的にあらゆるものに変換できます。しかし、債券や不動産などは現金に比べ流動性が低いものになります。なかなか即時的にあらゆるものに変換できないからです。
そして選好、つまり人々は「人は流動性の高いものを好む」という理論を発表します。
この理論で重要なポイントは資産保有者が全体的に予想の結果として、債券価格(利子率)が決まるという事です。
筆者なりにいうと、以下のように言えます。
「言い換えれば、そのときの人びとの信じている慣行が、債券価格を決めている( =利子率を決めている)のである。」
—『はじめての経済思想史 アダム・スミスから現代まで (講談社現代新書)』中村隆之著
「債券価格が持続すると大方が考えるならば、債券価格は安定する。債券価格が下落すると大方が考えるならば、債券価格は下落する。この集団的に見れば自作自演の世界(消費者とは無縁の世界)が、利子率を規定し、実物投資水準、そして G D Pを規定してしまうのである。」
—『はじめての経済思想史 アダム・スミスから現代まで (講談社現代新書)』中村隆之著
このようなどのように資産を持つかという選択だけでは、誰かを満足させるという事はありません。なので、このような形の経済活動が台頭し始めた時期であった当時、ケインズは政府の役割を重視したという事です。
まとめ、感想
以上がケインズの章となります。個人的には世界大戦なども絡んだ一般的な歴史の出来事から発生してきた経済観や理論だと理解することができ、非常に面白かったです。
また、この筆者のこの文章も示唆的でした。
「債券価格が持続すると大方が考えるならば、債券価格は安定する。債券価格が下落すると大方が考えるならば、債券価格は下落する。この集団的に見れば自作自演の世界(消費者とは無縁の世界)が、利子率を規定し、実物投資水準、そして G D Pを規定してしまうのである。」
—『はじめての経済思想史 アダム・スミスから現代まで (講談社現代新書)』中村隆之著
現在の日本のデフレや様々な問題も自作自演の世界にハマっているのかもしれません。つまり、我々の大方がデフレを脱却した、したいと考えなければ、この長引くものからはなかなか抜けられないのではないでしょうか?
また、最近はこのケインズ学派から派生したMMT理論が話題を読んでいますね。自分はまだ、分かりかねているところが多々ありますが、この歴史を踏まえながら、調べてみたいと思いました。
以下、MMT理論の説明が載っているページです。参考までに。
https://diamond.jp/articles/-/230685
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4276/
次はいよいよマルクスの登場です。また、不定期ですが、更新していきたいと思います。
読んでいただきありがとうございました。