【要約】人新世の「資本論」(1章〜3章)

この記事では人新世の「資本論」という本の第1章から3章アダム・スミス を要約しています。筆者がどのような思いでこの本を書き始めたのか、前半で章はどのような内容構成なのか、何が書かれているのかを割と深掘りしながら見ていきます。

この本は最近話題になっている人新生という言葉を使い、温暖化や気候危機といった問題を抱えている今後の社会はどのようなシステムで回っていくべきなのかについて論じています。

人新生とは、人類が地球の地質や生態系に重大な影響を与える発端を起点として提案された、完新世(Holocene, ホロシーン)に続く想定上の地質時代です。そのような時代において、今後の社会を考えるうえで、マルクスの資本論の再考、再解釈であると主張し論を進めていきます。かなり、大胆な論展開を行っていますが、現代に生きる我々が納得できるような事を多く行言っている非常に面白い本です。

それを私なりに要約しました。解釈が異なるところもあるかもしれませんが、それはコメントをいたただき教えていただければと思っています。

目次は以下のようになっています。

はじめにーSDGsは「大衆のアヘン」である!

まず、皮切りとしてこのようなキャッチーなタイトルが付けられています。

これは資本論の著者であるマルクスが25歳の時の論文「ヘーゲル法哲学批判・序説」のなかで言った言葉、

「宗教上の不幸は、一つには現実の不幸の表現であり、一つには現実の不幸にたいする抗議である。宗教は、なやめるもののため息であり、心なき世界の心情であるとともに精神なき状態の精神である。それは民衆のアヘンである」

といった文言を引用した、タイトルだと思われます。

この本も読むと更に著者の思想に触れられると思いますので、よければご覧ください。

因みに、ご存知の方が多いと思いますが、人新世の資本論というタイトルもマルクスの資本論を意識したものになっていますので、マルクスの資本論を読むと更に理解が深まるかなと思います。

ただ、マルクスの資本論はこの著作と同等かそれ以上に骨太な本ですので、時間やなかなか読み込む体力がないよという方は「カール・マルクス『資本論』 2021年12月 (NHK100分de名著)」をおすすめします。

この本は マルクスの資本論の解説本になっています。なんと言ってもこの解説本の著者が人新世の資本論と同じ、斎藤幸平さんになっていますので、彼がマルクスをどう読み解いているかもわかる本になっていますし、下手な解説本よりしっかりしていますので、是非ご覧ください。

話を戻します。

ここで言いたいことはSDGsに代表される生半可な温暖化対策だけでは全く効果はなく、それどころか有害ですらあるということであるようです。かつて、マルクスは資本主義の辛い現実が引き起こす苦悩を和らげる「宗教を大衆のアヘン」だと批判したことをもとにこのタイトルは付けられているようです。

そして、今我々は温暖化や気候危機といった問題を抱えている今後の社会について再考しなければならず、本書はその方法としてマルクスの『資本論』を折々に参照しながら、現代における資本と社会と自然の絡み合いを分析している本だと筆者は主張しています。

では、どのような論展開なのでしょうか?

以下のようになっています。

第一章 気候変動と帝国的生活様式
第二章 気候ケインズ主義の限界
第三章 資本主義システムでの脱成長を撃つ
第四章 「人新世」のマルクス
第五章加速主義という現実逃避
第六章 欠乏の資本主義、潤沢なコミュニズム
第七章脱成長コミュニズムが世界を救う
第八章 気候正義という「梃子」

といったタイトルで論が進められます。

大まかにいうと

第1章、第2章、第3章では、ひたすらに現在唱えられている、資本主義を維持したまま環境保全が可能であるという主張のほぼ全てを否定してきます。

そして第4章からマルクスの「資本論」を新たな環境、エコロジーという観点から考察していきます。

そして、5章6章では従来の一般的なマルクスの「資本論」の解釈が間違ったものであるということを主張していきながら、筆者の自身の考えを少しずつ並べていきます。

そして、7章では、その論を達成するにはどのようにすればいいのかを述べ、最後の8章ではそのような社会ので行われている具体例や萌画を具体的な社会事例とともに述べ、筆者の大胆な論展開が無理なものではないことを主張していきます。

個人的には、第4章のマルクスの『資本論』再考察しているところから読み始めても面白いかなと思います。筆者の考え方が分かったうえで第一章、第二章、第三章を読む方が頭に残りやすいかなと思います。ですが、今回はスタンダードに1章から読み進めていきます。

では、1章から見ていきます。

第一章気候変動と帝国的生活様式

まず、この章の最初では、現在の世界は環境と経済という二項対立の中で経済に寄り過ぎてると指摘し、この事を否定しています。それによって、どのような被害が起こるかなど、基本的な環境問題の知識をあたえてくれます。

そしてその原因は、先進国やグローバル・ノースと呼ばれる国々の「帝国式生活様式」であるとしています。「帝国式生活様式」(imperiale Lebensweise)とは、ドイツの社会学者ウルリッヒ・ブラントとマルクス・ヴィッセンが提唱した概念であり、端的に言えば大量生産・大量消費型の社会のことです。そして、この「帝国式生活様式」は他の地域から、搾取したり大量生産・大量消費の代償を転嫁することで成り立つ概念であることが問題であるとしています。

筆者は例として、ファストファッションはバングラデシュでの過酷な労働によって成り立っていた例などを上げています。その他、例をあげればきりがないでしょう。

要は先進国と呼ばれる人々の生活は発展途上国と呼ばれる国々の搾取からなり立っていると主張しています。そして、社会学者のシュテファン・レーセニッヒは、このような、他の地域から、搾取したり大量生産・大量消費の代償を転嫁することで成り立つ社会を「外部化社会」と呼び批判しているとしています。今まで、知らないかった、あるいは知らないふり、見ないふりをしていた、問題を先延ばしにしたとしていますが、発展途上国の経済成長が著しい今、それが無視できない状態になっているというのです。それは今までは、先進国が途上国を搾取するという関係が成り立って今からですが、途上国が搾取するところがないからです。結果的にそれは環境や自然というものの搾取になり、それが気候変動の主たる原因であると筆者は指摘しています。

つまり、「帝国式生活様式」型の生活を支える資本主義が諸悪の根源であり、そのシステムを変えるべき時がきたと主張しています。また、その限界が来ることをマルクスが予言していたとも指摘し、マルクスが論じていた、技術的、空間的、時間的、転嫁について述べていきます。

技術的転嫁とは環境危機を技術発展によって乗り越えようとする方法、例として土壌疲弊の問題をあげています。

空間的転嫁とは小さな地域の矛盾を解決するため、他の地域から資源を搾取し、解決しているように見せることです。例としてグノアをあげています。

時間的転嫁とは自分の生きている間だけ、世界がよければいいという考え、これをマルクスは「大洪水よ、我が亡き後に来たれ!」と皮肉ったとしています。

以上、マルクスは3つの種類の転嫁を指摘し、資本主義の欠点を暴いていいたと筆者は主張しています。そして、その限界はもう間も無くやってくるとされている中で私たちはどのように対処すればいいのかと投げかけてきます。

そして、その対処方法として欧米で希望とされている「グリーン・ニューディール」について紹介し、その妥当性を次章で検討していくとし、この章を終えています。

1章まとめ

筆者が端的に1章のまとめをしています。

“第一章では、資本主義が人間だけでなく、自然環境からも掠奪するシステムであることを見た。そのうえ、資本主義は、負荷を外部に転嫁することで、経済成長を続けていく。そうした負荷の外部化がうまくいっていたあいだは、先進国に住む私たちは環境危機に苦しむこともなく、豊かな生活を送ることができてきた。だから、豊かな生活の「本当のコスト」についても、私たちは真剣に考えてこなかった。”

— 人新世の「資本論」 (集英社新書) by 斎藤幸平

https://a.co/0WqyGoq

第二章 気候ケインズ主義の限界

この章では今、話題になっているグリーンニューディール政策についての考察を行なっています。はじめに結論だけ言ってしまえば、筆者はこの政策を不十分であると批判しています。

その理由を本論では様々述べていますが、まとめて筆者は“つまり、緑の経済成長がうまくいく分だけ、二酸化炭素排出量も増えてしまう。そのせいで、さらに劇的な効率化をはからなければならない。これが「経済成長の罠」である。”

— 人新世の「資本論」 (集英社新書) by 斎藤幸平 https://a.co/6LDWUEW

と述べています。もっと言えば、効率化や技術革新を行えば、環境負荷が減るという一般的な想定とは異なり、技術進歩が環境負荷を増やしてしまうのだと言っており。例えば、テレビは省エネ化しているが、人々がより大型のテレビを購入するようになったせいで、消費電力量は増えていると指摘しています。つまり、グリーン技術は、その生産過程にまで目を向けると、それほどグリーンではないということです。

ただ、筆者は誤解のないようにと加えて、グリーン・ニューディールのような政策による国土改造の大型投資は不可欠であるとしています。しかし、それだけでは足りない、不十分だと指摘し、目指すべきは経済のスケールダウンとスローダウンなのであると言っています。そして、この経済のスケールダウンとスローダウンの方法、筆者なりに言えば「脱成長」をどのようなかたちで目指していけばいいのかを3章で見ていっています。

2章まとめ

経済成長しながら、二酸化炭素排出量を十分な速さで削減するのは、ほぼ不可能である。

第三章 資本主義システムでの脱成長を撃つ

この章ではどのような形の脱成長が必要なのかを検討しています。

まず、ラワースのドーナツ経済論について述べています。この論は資源の使い過ぎは環境破壊を引き起こし、資源の使えない状況は貧困を引き起こしますから、その資源分配の格差をなくし、今よりも平等な形で資源分配しましょうねという論理です。

つまり、人類全体の生存率を高めるには「平等」という概念が鍵になると筆者は言っています。

そこで、筆者は「平等さ」と「権力の強さ」を2つの軸として、「人新生」の時代の未来の選択肢を提示しています。

— 人新世の「資本論」 (集英社新書) by 斎藤幸平 より引用

1、気候ファシズム

現状維持を強く望み、このままなにもせず資本主義と経済成長にしがみつけば、気候変動よる被害は甚大なものになる。遠くない将来に、多くの人々が、まともな生活を営むことが不可能になる。住む場所を失い、環境難民になる人も大勢出てくるだろう。ただし、一部の超富裕層は別である。惨事便乗型資本主義は、環境危機を商機に変えて、今以上の富を彼らにもたらす。国家はこうした特権階級の利害関心を守ろうとし、その秩序を脅かす環境弱者・難民を厳しく取り締まろうとする。これが、第一の未来、「気候ファシズム」である。

2、野蛮状態

だ気候変動が進行すれば、環境難民が増え、食料生産もままならなくなる。その結果、飢餓や貧困に苦しむ人々は反乱を起こす。超富裕層一%と残りの九九%との力の争いで、はんぎゃくつのは後者だろう。大衆の叛逆によって、強権的な統治体制は崩壊し、世界は混沌に陥る。統治機構への信頼が失われ、人々は自分の生存だけを考えて行動する「万人の万人に対する闘争」というホッブズの「自然状態」に逆戻りしてしまう。これが第二の未来、「野蛮状態」である。

3、気候毛沢東主義

こうして、社会が「野蛮状態」に陥るという最悪の事態を避けるための統治形態が要請される。「野蛮状態」を避けるために「1%対99%」という貧富の格差による対立を緩和しながら、トップダウン型の気候変動対策をすることになるだろう。そこでは、自由市場や自由民主主義の理念を捨てて、中央集権的な独裁国家が成立し、より「効率の良い」、「平等主義的な」気候変動対策を進める可能性がある。これを「気候毛沢東主義」と呼ぼう。

4、X

だが、専制的な国家主義にも、「野蛮状態」にも抗する試みもあるはずだ。強い国家に依存しないで、民主主義的な相互扶助の実践を、人々が自発的に展開し、気候危機に取り組む可能性がないわけではない。それが公正で、持続可能な未来社会のはずだ。

— 人新世の「資本論」 (集英社新書) by 斎藤幸平

この4つを彼は未来の選択肢として示し、xが目指すべき未来であるとしています。

そしてXというのは脱成長論であるが、既存の脱成長論とは違うといいています。この論は資本主義のシステムの問題には決して立ち入ろうとしないため、疑問が残ると筆者はいっています。

既存の脱成長派は資本主義的市場経済を維持したまま、資本の成長を止めることができるという論理であるが、筆者はこの楽観的な予測は間違っているのではないかと疑問を投げかけ、この疑問こそ、新しい脱成長論の出発点であるとしている。

なぜ、旧来の脱成長派は、ダメなのか。筆者はこれを様々な旧来の脱成長派の理論を紹介しながら、まとめています。

そして最後に、筆者は端的にこのように言っています。

“ここで、旧来の脱成長派は、こう言うだろう。資本主義の矛盾の外部化や転嫁はやめよう。資源の収奪もなくそう。企業利益の優先はやめて、労働者や消費者の幸福に重きを置こう。市場規模も、持続可能な水準まで縮小しよう。  これはたしかにお手軽な「脱成長資本主義」に違いない。だが、ここでの問題は、利潤追求も市場拡大も、外部化も転嫁も、労働者と自然からの収奪も、資本主義の本質だということだ。それを全部やめて、減速しろ、と言うことは、事実上、資本主義をやめろ、と言っているのに等しい。”

— 人新世の「資本論」 (集英社新書) by 斎藤幸平

https://a.co/5idBOCi

つまり、旧来の脱成長派が変えようとしているシステムは全て、資本主義の本質であり。資本主義を維持しながら、資本主義のシステムの本質を変えることはできないのだとしています。

だからこそ、上記で述べた理想の社会Xとは旧来の脱成長派が唱える脱成長資本主義ではないとしています。そして、筆者は抜本的な資本主義批判をする必要があるとし、マルクスが提唱した「コミュニズム」にそのヒントをもらえとしています。しかし、ここで、マルクスをいきなり持ってくることに違和感を覚える読者が多いだろうと筆者は予測しています。マルクス主義は、階級闘争ばかり扱って、環境問題を扱えないのではないか。実際、ソ連も経済成長にこだわって環境破壊を引き起こしたし、マルクス主義と脱成長は、水と油の関係にあるのではないかと。だからこそ、それは違うのだと、次章、4章でそれを明らかにしています。

今日はここまで、超端的に言えば、既存の資本主義と合わさった考えは全て人新世において無意味であり、害であるというのが、筆者の理論ですかね。

次の記事ではいよいよ、この本のタイトルの元ネタとなっているマルクスが実際にどのような考えを持っていたのかを考察している4章へと入っていきます。

繰り返しになりますが、次の記事や人新世の資本の4章を読む前にマルクスの資本論を読むと更にこの本への理解が深まると思います。

ただ、マルクスの資本論はこの著作と同等かそれ以上に骨太な本ですので、時間やなかなか読み込む体力がないよという方は「カール・マルクス『資本論』 2021年12月 (NHK100分de名著)」をおすすめしています。

この本は マルクスの資本論の解説本になっていまして、なんと言ってもこの解説本の著者が人新世の資本論と同じ、斎藤幸平さんになっていますので、彼がマルクスをどう読み解いているかもわかる本になっていますので、是非ご覧ください。

4章ー6章のリンクはこちら

7章から最終章までの要約がこちら

最後までお読みいただきありがとう

About the author

衣食住、旅人本に興味がある。アウトプットメインですが読んでいただければありがたいです。

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