北欧留学の建築学生がオススメするエストニア 、タリンの建築45選 後編

この記事ではエストニア の首都、タリンにある有名な建築を紹介する記事になっています。

古典的な名建築から現代建築まで様々な建築を地区別に分けて紹介していきますので、建築や都市計画に興味があるよって人はオススメできる記事になっていると思いますので、よければご覧ください。

前々回の記事ではタリンの旧市街にある建築をメインに紹介していきました。


前回の記事ではタリンの海沿いにある建築を紹介していきました。


まだ、ご覧になっていない方はそちら見ていただければ嬉しいです。

今回の記事は全3回の第3回目。タリンの東南側の郊外にある建築を中心に見ていきます。

では、早速参りましょう!

1: ENGLISH COLLEGE GYMNASIUM

この体育館は、タリンの有名な学校であるイングリッシュ・カレッジの理事会の私財を投じて建設されたもので、華やかで象徴的な建築が特徴です。木のようなコンクリートの高床式建築物が目を引きます。

この体育館が位置するのは、もともと街路樹が並ぶ、高貴なタウンハウスが周囲を囲む街区だったそうで、この現代的な建築が建つことに抵抗があった地域でした。そのため、コンクリート製の「木の幹」は、街区の樹木と似たリズムを作り、同時にバス停で待つ歩行者のために便利なキャノピーを形成しています。

2: MUSEUM OF OCCUPATIONS

占領博物館、MUSEUM OF OCCUPATIONSは、ロシアとドイツによるエストニア占領に関する研究をする目的で、民間の財団によって設立されました。

この建物は、均質的な街路と古典的な建物という従来の都市の原則に意識的になり、一部の床を持ち上げることで、角地にアクセントを与えています。

その持ち上がった床を抜けると小さな中庭とエントランスに入り、博物館に入る前の気分転換を行える空間になっています。この美術館でテーマは思いものですが、悪い意味での圧迫感や復讐心を感じさせないように設計されるように意図されているようです。

3: NATIONAL LIBRARY (エストニア国立図書館)

かなり、独特な建築であるエストニアの国立図書館。設計者のRaine Karpは、エストニアで最も独創的な建築家の一人であり、様々な物議をかもした設計を行った人物です。ソ連の占領時代に国からの実質的な委託プロジェクトをいくつも受け、極めてユニークな手法で完成させ、当時はその立場から批判を浴びましたが、後にその仕事ぶりが高く評価されるようになりました。

外装、内装ともにライムストーンを採用し、バラ窓を設置することで、エストニアという土地柄と神聖さを演出している。黒い天井は、有名な国民的詩を思い起こさせます。建物全体に大きな階段や通路を設け、リンナ・ハルを想起させるような、明らかに都市的なスケールで建築設計をしているのが見て取れます。

4: ICELAND SQUARE AND THEATRE SQUARE (エストニア 外務省)

アイスランド広場は、1991年にエストニアの独立を最初に承認した国、アイスランドにちなんで名づけられたものです。しかし、実はスターリン時代の都市計画の一部で、2つの大通りが交差するこの場所に文化施設が集合する場所として、考案されたものだそうです。

フィンランドのナショナル・ロマン主義の建築家によって建てられたオペラ・バレエ劇場「エストニア」を起点に、様々な文化的建築が立ち並ぶ予定でしたが、結果的にはそこまでうまく機能せずに終わってしまいました。しかし、広場のもう一方の起点であり、現在は外務省として使われている建物はエレガントな白いモダニズム様式のビルで美しいです。

5: HOTEL RADISSON SAS

このホテルは、完成時にはタリンで最も高い建物となり、主要な商業施設が立ち並ぶこの通りに垂直方向のアクセントを添えています。

1970年代のコンセプチュアルな建築家たちによって設計されたこの建物は、ロシア構成主義建築への賛美の跡を残しています。これは特に遊び心のある幾何学的な屋根の形、そしてファサードの全体的なボリューム配分に顕著に表れています。最上階にはパノラマビューを楽しめるパブリックカフェがあるそうです。

6: BANK BUILDING

この銀行ビルは、現在SEBの本社ビルとして、独立したばかりのエストニアで最初に建てられた高層ビルです。当初は賛否両論ありましたが、現在では近隣に広がる新しいビジネス街のランドマーク的存在となっています。青みがかった空を反射させるガラスのファサードと極めてシンプルな形態により、表現豊かでありながら抽象的でもある二律背反的な特徴を併せ持つ建築です。

7: STALINIST APARTMENT HOUSES

第二次世界大戦後、エストニアがソビエト連邦に編入された際、社会主義の文化や芸術が大きな影響を与えましたが、意外にもタリンにはスターリン主義を象徴するような新しい建築物はあまりな建てられませんでした。

その中でも、スターリン主義に最も近いと言われているのが、このドヴィガテル軍事工場の労働者集合住宅群です。この古典的な都市ブロックに、角を強調する塔、ソ連のシンボルを示したスタッコ装飾とスターリン主義の特徴を多く持った建築です。モニュメンタルなイメージのこの建物ですが、キッチンなどは共有するタイプのプランになっており、それも社会主義的なものを連想させますね。

8: FAHLE BUILDING

様々な面白いリノベーションがよく見られるタリン ですが、この建物はそのさきがけと言える存在です。1926年に建てられたこの旧製紙工場は、リノベーションの際、歴史的な建築のディテールと産業設備は可能な限り保存され、その上に文字通りガラスの箱と言えるようなユニットを接続させることで現在の複合施設へと変貌を遂げました。下層階にはレストランとオフィスがあり、上層階には眺望の良いアパートメントが配置されています。

9: Kadrioru loss カドリオルグ宮殿

カドリオルグ宮殿(エストニア語でKadrioru lossl)は、エストニアの首都タリンのカドリオルグにある18世紀のペトリン・バロック宮殿です。宮殿の名称はエストニア語で「カトリーヌの谷」を意味します。1718年から1725年にかけて建設されました。現在、宮殿にはエストニア美術館の分館であるカドリオルグ美術館があり、16世紀から20世紀までの海外の美術品を展示しています。

10: KUMU ART MUSEUM  (クム美術館)

エストニアで初めて純粋な美術館として建設されたこの美術館は、長期の建設期間を経て、2004年に開館しました。

位置するのはカドリオグ宮殿位置する歴史的な公園ですが、その歴史に圧倒されることなく、かと言って、その歴史を冒涜するのでもなく、石灰岩の崖とも言える巨大な曲壁を作り、ランドスケープレベルで公園に溶け込むように設計された建築です。閉じた中庭をメインに、様々な曲線が使われており、エストニアのモダン建築の傑作の1つだと思います。

11: METHODIST CHURCH

ソビエト連邦の無神論的な政策を経て、独立を取り戻した時代には、タリンの宗教活動は再び盛んになりました。この教会はその時代の流れにのって建てられた現代的な教会です。カドリオルグ地区と市街地の境に位置し、ランドマーク的な存在としても機能しています。

設計者のヴィレン・キュナプは、曲線を描く場所と角張った塔のコントラストを重要視し、やや脱構築主義建築を想起させます。儀式の場のみならず、図書館、宿泊施設なども併設し、宗教的な儀式のほか、コンサートにもよく使われるまさに現代的な教会のロールモデルの教会とも言えるかもしれません。

最後に

以上、タリンの東南側の郊外にある建築を解説してきました。あくまで、素人の解説ですので、もし誤った点があれば、ご指摘いただければ幸いです。

なお、今回紹介した建築たちの解説をgoogle mapと一緒にみたいよという方は以下のページに私が作成したgoogle my mapのダウンロード方法が載っていますので、こちらをご覧ください。

Google mapに解説を添付している為、自分の現在地がわかり、紹介した建築の場所もわかり、簡単に行き方が確認できて、フリックすればブログに載せてる解説がこのページに戻らずとも瞬時にみられる。そんな良いツールになっていますので、よろしければ、ご覧ください。

以下ページです。

https://note.com/bunzakki_/n/n763d1413b34a


そのほかにも、いろいろな国の建築記事書いてますので、よろしければ見てください。

最後までお読みいただきありがとうございました。

ではでは。

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衣食住、旅人本に興味がある。アウトプットメインですが読んでいただければありがたいです。

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